私の母親は9人兄妹(!)で、ほとんどの方は亡くなっていますが、一番上のお姉さんがヨシノおばさんでした。姉妹とはいえ末娘の母親とは年齢が離れていて、自分にとってはおばさんというよりおばあちゃん的な存在でした。
豪放な性格の方で、私の勤めている施設のデイサービスに来られた時も、大勢の職員や利用者の前で「これで子供に菓子でも買え。」と一万円札を渡してきた事もあります。
他にも様々な話があるのですが、今日話したいのは子供の運動会の日に聞かされた話です。
子供の運動会の何日か前、職場のデイサービスに来ているヨシノおばさんに会いました。
「子供の運動会は、お前も行くんか。」
と聞いてくるので、特養勤務の私は、忙しいから行けるかどうか分からないと答えました。私の施設はデイサービスは土日休みですが、特養は交代勤務です。普段から私の子供をかわいがってくれていたので、きっと「子供がかわいそうだ、仕事なんて休めばいい。行ってやれ!」みたいに言われるんだろうな、と考えていると
「それでええ。嫁さんが行くんなら、お前が特段行く必要はないじゃろ。ここで仕事をしとるほうがまだ人様の役に立つわ。」
という答えが返ってきました。
そしてその答えを聞いた時、自分も「確かにそのとおりだな。」と感じたのです。
最近、「社畜」「会社の奴隷」「養分」など、個人の権利がないがしろにされて仕事や会社に囚われている…そんな言葉が多く聞かれるようになりました。これらの言葉を目にした時、私はヨシノおばさんの事を思い出すのです。
自分の感性や価値観ははもう前時代のものなのでしょうか。しかしお年寄りがよく使う「人様の役に立て」などの言葉には、理屈抜きでぐっとくるものがあります。
自分の職場は、子供の運動会や発表会などは、職員が譲り合ってなるべく参加できるようにする風潮があります。それは福祉施設が女性中心の職場であるためかもしれません。
しかし他の介護施設では仕事の都合を優先し、子どもの運動会に行けない親御さんも多いかと思います。私は、それはそれで立派な事だと思います。
親の背中を見ながら子供が育つ、と言います。自分の子供たちは、子供の運動会より仕事を優先するような親になるのかもしれません。しかし自分はそれでいいと考えています。
そういえばヨシノおばさん、嫁さんが鹿児島に里帰りする時も同じような事を言っていました。
「正月みたいに、世間が休んでいる時に働くっちゅう事は普通のもんにはなかなかできん。お前が嫁の実家に行っても何の役にも立たんし、どっちかっちゅうとおらんほうがええじゃろ。こっちで仕事をしとけ。」
とにかく「人の役に立つ」がどうか。
それが考え方の基本にあるような人でしたが、そんなヨシノおばさんと話をするのが、私はとても好きでした。