日々思うこと

Twitterでの看取り論争

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Twitterのフォロワー様が千人を超えました。そのせいか普段リプライやリツイートにかける時間が増え、スマホやパソコンをいじる時間が多くなってます。

今回まず読んでいただきたいのは、以下のツイートです。

最初に読んだ時、なにかの間違いかと思いました。特に「動画がスタッフから送られてきた」の部分は、私はどのように想像力を働かしても追いつく事ができませんでした。

ここから徐々に詳細が明らかになり、ツイートされた方とのやりとりを経て、自分の中でなんとなく美談として落ち着く事が可能な状態まで持ち直しましたが、未だに納得はできていません。

ツイートされた方の施設はメディアにも取り上げられたりと、いわゆる「有名」な施設です。看取りケアも、その場でしかわからないほのぼのとした空気があり、素晴らしいものだったでしょう。(だからこそ自分たちの中で完結させ、たった140文字で中途半端に発信する事は避けてほしかったという思いもあります。)

ここからは完全に私の個人的な感想です。

ご家族と職員が遺体を撮影している様子を動画におさめ、それを施設管理者に(おそらくメールで)送信。そして管理者はその顛末を明るい文体でTwitterで拡散し、亡くなられた方を何も知らない、関係もない批評家気取りの第三者の間でその方への看取りケアの様子が議論される…

私の感性ではどう想像しても受け入れられません。「家族の許可をとっている」「そこまでの関係性が築けている」とおっしゃっていましたが、そういう問題ではない。

もしも、Twitterで拡散する事で、自分たちの「素晴らしい介護」を世にしらしめたかったのだとしたら…と考えると言葉も出ません。

私は、「死」とはその方だけのものだと考えています。
私の「死」を死ぬ事ができるのは私だけです。
長年連れ添った肉親や恋人や友達、人生の最後に何年か寄り添っていただいた介護スタッフ、ましてや名も知らぬTwitterの有象無象…それらどの方にも、私の死を理解してほしくないし、理解させたくないし、理解しようとしてほしくないんです。

「死」までの時間、そばで付き添う事はとても大切で意義のある事だと思います。しかし亡くなられたあとは…その方だけの「死」にしてあげていただきたいのです。

Twitter上で「素晴らしい」「さすが」「こんなふうに死んでいきたい」という感想が出るたびに、鳥肌が立ちました。こんな仕事が、私達の仕事の素晴らしい部分だと思われたくない。

一晩、一睡もできずに悩みました。私の感性が間違っているのか?
今まで自分の目の前で亡くなっていかれた方がこのように扱われていたなら…と想像して涙が出ることも。

この件に関してはツイートされた方からコメントをいただき、お互いの意見を直接伝える事ができました。「不快にさせて申し訳ない」といった旨の言葉もいただき、いくらか心も落ち着きましたがツイートはまだ残っています。

私の働いている施設の職員がこのツイートを見てどう感じるか。それを考えるたびに、とても不安になります。

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