子供がだんだん大きくなり、子育てというか、子供へのかかわり方というか、そういったものをたま~~~に考えることがあります。
特に一番上の息子。中2といえば、もうほとんど大人といっしょで、考え方も複雑になっているようです。
今回は自分が子供に対して感じている事を書きます。
その前に自分が職場で体験した話をひとつ
場面は入浴の介助中、登場人物は私、なんとか階段の上り下りができる利用者のHさん、おせっかいやきのZ職員で、Hさんは短期記憶の欠落が多く見られます。
私「Hさん、階段を使って浴槽に入ることができますか?」
Hさん「どうじゃろう…できるとは思うが。」
Z職員「(間髪入れず)Hさんは階段の上り下りはできるよ?そんな事も知らないの?」
Z職員「はい、Hさん立ってねー!こないだも階段から浴槽に入ったもんね?がんばれ!!」
Hさん、ゆっくりと浴槽へ。
介護職をされている方なら、誰しもが経験されるようなこんな場面。実は、私はHさんが階段から上り下りされているのは知っていました。
この時私の問いかけに対してHさんが
「これくらいできる!お前、ばかにしとるんか?」
「こないだワシが階段上がるところ見たろう。よく覚えておけ。」
などの返答をされたなら、素直に謝罪し次回からは同じような問いかけはしません。
しかし私は、きっとHさんが自信なさそうに答えるであろうと予測していました。だからこそ「できますか?」と聞いたのです。
ほとんどの利用者様は、私たちなら気にも留めないような簡単な動作さえ、おぼつかない事がほとんどです。
「立ってください」「食べてください」「歩いてください」
このような声掛けでは、がんばってやっとできたとしても、0点の状態です。がんばってあたりまえ、できてあたりまえという図式になっています。
話を戻して、自分の家に当てはめています。
「洗濯物干してって言ったよね?」
「今日は2時間は勉強するんでしょ?」
「なんでまだ風呂掃除やってないの?」
こんないい方では、手伝いをしても、勉強をしても、それで当たり前なのだからがんばろうという気持ちになりにくいのではないでしょうか。
「やったところで0点」ではやる気が起きません。がんばったぶんだけ点数がもらえるから嬉しいし、喜びを見出せるのです。
「人から認められたい」「褒められたい」「驚かせたい」これらは人間が行動するときの原動力になるはず。
「すごい、よく階段から浴槽に入れましたね!」
「2時間も勉強したの?すごいね!!」
「風呂掃除やってくれるとは思わなかった、すごく助かった。」
こういったやりとりけが増えるように、まずは自分自身の関わり方、声の掛け方に気を配るようにしています。