今日は中秋の名月ですね。
少し前から自分の職場が少し不安定な状況になり、仕事中に「介護職員にとってのリーダーって、どんな存在なんだろう」と考える機会が多くなりました。
どんな施設にも、かならず介護職員のリーダーという方が存在します。
私の施設は特養ですが、介護職員にはさまざまな性格や生い立ちの方がいらっしゃいます。
介護という仕事は、仕事ぶりや事象のとらえ方に、職員の個性が大きく反映されます。そのため職員同士がそれぞれの価値観を主張し、いざこざが起こる事も少なくなりません。
また慢性的な人手不足からひとりひとりの負担が増大し、おたがいを思いやる余裕がなくなっている事も事態を深刻化させる要因となっています。
それらの職員の中心になる存在、それが介護リーダーです。
私達の施設では「介護主任」という役職名になります。ほかにもユニットリーダー、介護課長など、施設によってさまざまな名称がありますが、ここでは介護リーダーと呼びます。
介護主任を任されていた時、介護リーダーについて、次のようないろんなことを考えていました。。
まずひとつめ、介護リーダーのメンタルや苦悩について
介護リーダーという役割は基本的に孤独です。
複数設置されている職場なら少しは違うかもしれませんが、自分と同じ立場の人間がいないため、職場で圧倒的な孤独感に向き合う事になります。
そして現場で起こっている不利益な事は、そのほとんどが介護リーダーの責任とされます。
実際に解決に向かって舵をきれるのが介護リーダーしかいないため、仕方のない面もあります。
しかし戦争に例えると人員も物資もない状態で最前線に置かれ続けているようなもので、その状態で施設の責任者たちの望みをかなえる事はかなり困難でした。
そして同僚や施設長から感謝やねぎらいの言葉をいただいても、それはあくまでそれぞれの立場からのものであり、介護リーダーの苦悩を共有できているものは少なかったです。
ふたつめは、介護リーダーの素質についてです。
さきほども述べたように、介護リーダーは孤独です。
それとはおかまいなしに、普段からやるべき事は膨大にありますし、職員のストレス発散のための窓口になるのも日常茶飯事です。
特に介護職員を兼任している介護リーダーは、常人ならそれだけで根を上げる介護業務をこなしつつ、先に述べたようなトラブルをやっつけていかなければなりません。その重責につぶされ、ドロップアウトしてしまう介護リーダーも少なくないと聞きます。
ではそれらの厄介ごとに潰されないため、
介護リーダーに必要な素質、条件とは何か?
さいわい自分には、これだけははっきりとわかりました。それは…
「やりたい事、実現したい事」があるかどうかです。
やらなければいけない事、実現すべき事ではありません。
自分がやりたい。自分が実現したい。利用者様でも職員でも家族のためでもない。自分自身のために自分自身がやりたい事があるかどうかです。
それは腹が減ったから食べたい、眠たいから眠りたい、などの原始的な欲求に似ています。なおかつ具体的である必要があります。
ただし食事や睡眠のように、その欲望がひとりで満たせるものなら介護リーダーにこだわる必要はないでしょう。
この欲望があれば、障害に負けることはありません。勝ち負けの概念の外で仕事ができるようになるからです。自分が嫌いだった職員も、目的達成のための大事なスタッフに見えてきます。
最後に、介護リーダーの役割です。
たとえば一般の介護職員たちは、介護リーダーの役割をどのようにとらえているのか?介護リーダーに何を期待しているのか?
それは「道を照らしてくれるもの」だと思います。
介護の仕事、特に自分たちのような従来型特養には、病気、死、ケガ、職員不足など、常に暗い、負のイメージがついて回ります。
その中でも利用者様の介護拒否、理不尽な暴力などは職員の心を簡単に折ってしまう事があります。そのような時、新人職員や精神面で弱っている職員などは、まったくの暗闇にいるような状態かもしれません。
介護リーダーの役割は、その暗闇を月のような薄明かりで照らしていく事です。
「これはこうだ!」「お前はあっちだ!」と太陽のように強烈に照らす事はありません。薄い月明かりでいいんです。
その明かりがあれば、「もう少し先まで歩いてみようかな」と考え直す職員もいるかもしれません。
暗闇にある時、どこに明かりがあるか必死で探すのが普通の介護職員です。それとは反対に、明かりそのものになるのが介護リーダーの役割ではないでしょうか。
なんだかポエムみたいな記事になってしまいました。自分自身、センチな気分になっているのかも…
自分は介護リーダーをしりぞいてしまいましたが、どのような暗闇にいても、いつかは月が昇るはずです。がんばりましょう。