本来安心して生活するための高齢者施設で起こってしまう虐待。あってはならない事ですが、定期的にニュースになります。
事件の起こった施設はユニット型特養、私達の施設は従来型特養なので多少の差異はありますが似通った環境ではないかと推測できます。
私も今まで様々な職員と仕事をさせてもらいましたが、どうしても自分の感情をコントロールできていないと判断せざるをえない場面を何度となく見てきました。
そしてそのような職員は普段の仕事からその兆候が把握できるので、「え?この職員がクレーム?」という事はほとんどありません。「またか…」というパターンが多かったように記憶しています。今回の「いちがお園」の事件も同様ではないでしょうか。
ですから、その職員の「兆候」がある程度のラインに達したら、暴力行為がある利用者様への対応から外れてもらうよう提言していました。
しかしここで不可思議な事が起きます。利用者様への対応を外れるよう指示した時、その職員らは決まってこういうのです。
「自分が外されるのは納得できない。悪いのは理不尽な暴力をふるう利用者だ。」
と。
もちろん、自分だけ困難な方から逃げるわけにはいかないという使命感もあるでしょう。しかしこのような返答をされると、負の感情をあらわにする、利用者様を威圧するなどの行為を、ある程度自分の中で肯定していると判断せざるを得ません。
こうなってしまうとお手上げです。その考え方の矛盾を指摘し、否定するだけの材料はこちらにも多くありますが、議論で言い負かしたところでなんの意味もありません。
職場が正常な状態なら、そういった職員はだんだんと居場所がなくなっていきます。誰が意図するわけでもなく、自然とそうなります。これはその職員にとってもたいへんな不幸な状態です。
考えてみれば当然な話です。皆さん自分の感情を殺し、歯を食いしばりながらルールを守って仕事をしているのですから。今働いている職員さんもそうですが、退職していった先人たちの努力ももちろんあります。
それをひとりの職員、ましてや入職して3年やそこらの人間にだいなしにされてしまっては、正直「かんべんしてくれ」となります。
また感情をあらわにする職員には到底信じられないかもしれませんが、「利用者様に対するひどい態度や言葉遣いを見るだけで心が病む。」といった職員も一定数いらっしゃいます。
利用者様への暴力に対する考え方を普段から説いていくのは、虐待の未然に防ぐだけでなく、職員間の不和を起こさせないためにも、非常に有用な手段ではないでしょうか。
だらだらと書いてしまいましたが、
最後に「怒りなどの感情をあらわにし、手荒な身体介護やきつい言葉がけをおこなっている職員にするべきたったひとつの質問」を書いておきます。
「その態度や言葉がけ、利用者様の家族や警察官やテレビカメラが目の前にいたとして、まったく同じようにできるか?」
職員の答えが「できます。」なら脳のつくりがおかしいか、心の病気です。ただちに長期の休暇をあたえ、病院を受診してもらいましょう。
答えが「できません。」なら、なぜできないのか?おそらく他人の言葉など聞けないでしょうから、できない理由を自問自答してもらいましょう。その後定期的な様子観察と面談、他職員からの情報収集を継続します。
職場環境に起因する虐待の予防策は数多くあります。
しかし、個人の素質に起因する虐待の予防は、要するにたったこれだけです。